シブくてカワイイ、そしてちょっとユルい仏像グッズのマシュロバです!
令和2年2月4日から3月22日まで開催される予定だった奈良国立博物館の毘沙門天展が新型コロナウイルスの影響を受け、会期途中から臨時休館になり残念ながら再開される事なく閉幕となってしまいました。
…なんてこった。こんな事態が起こるなんて考えてもいなかった。全国からこの展覧会の為に集いお越しくださった珠玉の仏さま達。当然のように会期中はその素晴らしいお姿を拝見できるものだと疑いもしなかった。
それが半ば、突然拝めなくなってしまうなんて!!
幸い私は開催後すぐに見に行けたのであの素晴らしい空間を思い出すことができますが、残念ながら見に行けなかった方々の為に記録を残しておきたいと思います。と言ってもただの仏像好きの偏った感想なので何も参考にはならないと思いますが…
2月6日(木)、午前中から気合を入れて毘沙門天展に向かった。気持ちよく晴れた空。
この頃もコロナの影響で奈良公園も人影がまばら。展覧会に訪れている人の数もいつもの展覧会に比べ少なかった。(と思う)
会場に着き、その毘沙門天さまの数の多さに度肝を抜かれる。よくこんなにも集めはったなぁ、ほんとにほんと、奈良博さんいつもありがとうございます。いやほんと、どうやってこんなに集めるのかマジすごいし、仏像運びのプロフェッショナル日通さんもすごい仕事してはるわぁ!
ドキドキしながら会場を巡る。かなり興奮していたのでマスクが息苦しい。えいやっいっそのことマスクを外してしまえ(マスクはしておきましょう)
毘沙門天さまはもちろんのこと、その足元には当然の如く邪鬼がいる。
毘沙門天の数=邪鬼の数
そう、表向きは「毘沙門天」展だが、サブタイトルもしくは裏テーマは「邪鬼」展とも呼べるぐらい邪鬼の数もハンパない。そのバリエの豊富さ、邪鬼好きにはたまらない空間でしたよ。
ここで気になった邪鬼のご紹介!(いやいや先に毘沙門天の説明からしなはれ)
毘沙門天に踏まれながらもウットリした表情で余裕の眼差しを見せる邪鬼、髭をはやし強面でオラオラ系を彷彿とさせる悪めの邪鬼、ペアでユニットを組んだ仲が良さそうな二人組邪鬼、ヘビを掴み一際個性を醸す邪鬼、オシャレな腕輪をたくさんはめた邪鬼。
他にも色んな邪鬼がてんこ盛り!毘沙門天見て邪鬼見て毘沙門天見て邪鬼見て。どの仏像も素晴らしいので眼に一体一体焼き付けるのに時間がかかるかかる。
おっとここで毘沙門天さまの説明を
毘沙門天は四天王の一員である多聞天と同じであり、仏教の須弥山世界の北方を護るカミであります。「毘沙門天」の名で単独の像として造像、信仰されており四天王の中でも特別な存在です。日本では単に仏教世界の守護神だけでなく、仏教修行者を守り福を与えたり念仏の信者を保護する存在でもあると信じられました。このような福徳神的な性格は後に七福神の中の一尊である毘沙門天のイメージにつながっていると思われます。(毘沙門天展図録参考)
いわゆる四天王のリーダーでソロ活動もしていて多彩な才能を発揮させているヒーローみたいな感じですね。
会場にはたくさんの毘沙門天さまがいらっしゃいましたが特に気になったのがこちらのお方。
両腕の先は失われていますがそのプロポーション、バランス、表情が素晴らしい。さすが運慶の子、湛慶。その美しい造形にただただ見惚れてしまいました。
仏像って作った人の内面も滲み出ているような気がします。この御像を見ていると何故だか強く惹かれて仏師のこだわり抜いた造形、淡々と仕事をやりきる姿勢、この仏像に込めた信念みたいなものを強く感じてしばらく前から動けませんでしたね。
これを“勝手にシンパシー”と呼びます。湛慶に対して無礼かもしれませんが何か勝手に共感して、一方的に焦がれてしまったのかもしれませんね。
他にも毘沙門天のルーツを探るパネル展示なども見ごたえがありました。
私がずっと気になっているヘビを掴んだ邪鬼、前に法隆寺の上御堂でも見かけたのですが、なんとこの展示でもヘビを掴んだ邪鬼がいたんです!※上の邪鬼イラスト参考
そのルーツがなんだかちょっとだけわかった気がして胸がザワついた、パネルの写真を描き写したものがこちら↓
なんと堂々とヘビを口にくわえた邪鬼がいるではありませんか。くわえ、掴んでいる。これを見たときにあのヘビ掴み邪鬼とのつながりを感じてドキっとしました。この邪鬼を直接仏師が見たわけではないんだろうけど何か文献や言い伝えで中国から持ち込まれて「ヘビ、いいやないかい」と思った仏師が踏襲したのかな、なんて想像して面白い気分になったり。
他にも双身毘沙門天や兜跋毘沙門天など素晴らしい仏像がたくさんいらっしゃいました。
展覧会というものの価値を改めて感じています。こうして気軽に外も出られなくなってしまった今、本物をこの目で見て感じ取ることの大切さ尊さ、早くコロナが終息して博物館、お寺に行きまた何かを感じ取りたい。そこから得られる感覚は生きる上でかかせないものだと、改めて思いました。
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